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2012年 01月 30日 ( 1 )


2012年 01月 30日

S.ジョブズ&iPhone

1.iPhoneとの出会い
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昨年、世界から惜しまれて亡くなったスティーブ・ジョブズ氏、その伝記・特集・著書・雑誌・TVで話題になった。それまでシリコンバレー生まれの青年がとんでもないサクセスストーリーの人生を歩んできたとは知っていてもあまり詳しいことは知らなかった。

 なにしろ、自分が使っているのはマイクロソフト社のWindowsであるし、Macユーザーから、その離れがたい魅力について聞くことはあっても触ったことがないので実感できないでいた。
 ところが、転機は訪れた。移動中にネットを調べ、メールをすることのできる機械を探していた自分が軽量小型ノートPCやモバイル型各種機械を探していた。あいうえお打ちができない自分は携帯電話を使えないのだ。また、HPやブログ・ニュースが題名だけが出てきて一回一回開かなければ見られない携帯型の展開でなく、PC画面を見たかったのだ。ローマ字打ちのできる機械を探してとうとう、その理想のかたちとしてiPhoneに出会ったのは2年半前だった。
 
 使ってみると、想像以上に携帯電話よりもPCに近いということを体感し、また、PC(現在はicloudという領域に直接できるが)での保存・復元・などのできること、自分が必要とするアプリケーションだけを無料・又は有料で入れることができるということ、しかもそれらのアプリを誰もがつくりだすことを推奨しているので世界のニーズと世界の知恵が次々ととアプリをつくり続けるということなどを知るにいたった。

 それ以来、いったいこんな斬新なことはどんな頭脳が考え出すのだろうと思っていた。


2.ジョブズという人
 現代においては早過ぎる56歳で亡くなったジョブズ氏とはどういった人だったのだろうか。きょうTVでこの人についての特集の再放送?らしきものを見た。そういえば、雑誌を読んでからもこの人について語っていなかった。このような人がいたという自分の覚書としたいので、ご存知の方は2.はとばして読んでください(Newsweek・ニュース・TV等を参考)

 ジョブズが16歳のとき、自分より優れた技術者スティーブ・ウォズニアックに出会う。
そして、コンピュータゲームをつくるアップル社をつくった。当時大きな会社にある巨大なPCでなく家庭用個人が使うようなPCの開発ができるかどうかが技術者の間の課題だった。

 ウォズニアックはの小さなPCの基盤をつくりだした。ジョブズはこれを「アップルⅠ」として世に出した。
家のガレージで始まったPC会社であったが、当時、その基盤の小ささは画期的なものだったのだ。
さらに、しばらくして「アップルⅡ」を発売した。これは基盤だけでなくケースにきちんとおさめキーボードを備えたものだった。そして美しい外観とカラー画面を備え1993年まで二500万台を売った。

 ジョブズは他の企業で開発されて、しかも販売のために使われていないアイコンやマウスというツールを装備した「Lisa」開発に入った。しかしながら、完璧主義者の徹底したやり方・話し方でPC業界の革命児と言われながらも社内では不満がいつもくすぶっていた。とうとう「Lisa」プロジェクトから外されてしまう。

 裸の王様といわれ、自分だけの新チームを結成して週に90時間働くよう強制し理想のPCづくりに邁進した。また、アップル社に経営のプロを入れようと、ジョブズはコーラの会社のジョン・スカリーを求めた。スカリーは断ろうとしたが、その時に「一生砂糖水を売り続けるのか、それとも一緒に世界を変えてみるのか」と迫られ、アップルへ行くことを決心したという。この言葉にジョブズが何を求めていたのかが感じ取られる。

次に発売した「マッキントッシュ」はCMも斬新で話題になったが、盛り込んだ機能があだとなり動作が遅かった。そのため発言力は下がり、自分が呼んできたスカリーとも険悪な状態になった。とうとう、経営者の実権を失い1985年アップル社を去った。その時、たった1株だけを残してアップル社の株をすべて売り払った。

 彼は、この経営者でなくなって失業したとき、若干30歳だった。 全米で最も有名な失業者になった。

それでもPC開発という仕事が好きだと感じた彼は新PC開発した。ここでも一台80万円という高額なPCであったために失敗し、アップルの株を売って得た金を使い果たす。
 転機が訪れた。このころ、ジョージ・ルーカスからCG部門を買い取り、ここで起死回生の起業をする。1995年の映画トイ・ストーリーで彼のピクサーアニメーション会社は大きな成功をおさめ、また億万長者に返り咲いた。

 このころ、彼の人生で唯一愛した女性ローリーパウエルと結婚し、家庭的にも充実したという。一方、アップル社はビルゲイツのマイクロソフト社に押され苦境に陥っていた。
 1997年、ジョブズはアップル社へ返り咲き、それまでの役員を追い出し再建策をうちだす。
 そうしておいて1998年「IMac」、リビングに置いて違和感のない斬新なPCを開発した。

◆その後、ウォークマンなどとは全くスタイルの異なり、画期的でスマートな「iPod」を発表した。
順風満帆に見えたそのころすい臓がんが発見される。しかし、mm単位で小さくこのデザインでこの技術でとこだわった開発ということに命を懸けるように仕事を続けた。
2007年 「iPhone」を発表した。3か月位で100万台を売り上げた。
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        左は 「iPhone4s」、右は 「iPhone3G」・・・厚みが違う・機能もだいぶ違う。
 このシンプルで美しいデザインも彼のこだわりのうちである。パッケージも小さくシンプルでしかもクールなと表現したくなる。解説書はついていない。自分で触って機能を知っていくというシンプルさを徹している。

2010年には彼は「iPad」をさらに発表し、 大ヒットとなる。 「iPhone4」 「iPhone4s」「iPad2」など発売するたびに予約申し込みや当日の行列ができるのが当たり前の状況となり、アップルは世界有数の企業になったのだ。そうした中、開発、開発と無理を続けたジョブズは最後にはその地位を退き、家族のもとで全力で駆け抜けた人生を終えた。2011年10月5日のことだった。

3.彼が残した世界
◆スタンフォード大学でのスピーチ
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これが、だれにもわかりやすい彼自身をあらわしたスピーチとして世に名高い。
・・・・・・君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費や­すことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もない­のです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして­、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持っ­て行動することです。
you tubeに翻訳までついて載っているので、どこの国の人もこうしたスピーチを居ながらにして知ることができる。
 それをこうして、、iPhoneで見ている。彼が微笑んでいそうだ。





◆iPhone&iPad
 PCについてはたくさんの企業と開発者がそれぞれにいて機械もソフトも出来上がっていき、それらはジョブズがいなくても今の世に存在しただろう。だが、散在する技術者や知恵を結び付けいち早く世に送り出していったのは彼だった。
 
 また、iPhoneのあの小ささの中にいくらでも広がる世界が詰め込まれた作品というのは彼なくしてこんなに早く世界に存在しなかったのではないだろうか。

 iPadは、最初iPhoneを大きくしたもの、しかし、毎日電車の中に持っていって読むには大きすぎるしノートPCほどではないにしても重い。写真とかを写してプレゼンとかにはいいが・・・、他にはどうだろうなどと思っているうちに、自分が大好きなフィギュアスケートの世界で実感した。コーチが選手の演技を iPadで撮る。その場でスピンややジャンプ・ステップのフォームを確認してそれを注意しながら即練習に取り入れる。
 あぁ、なるほど、iPhoneがそれぞれのニーズで使い方が異なるように、 iPadも決められた使い方がどうというのではなく平らで画面が大きく手に持ってさえいれば向きは自由自在。何に使うのかはユーザーの無限の広がりにまかされているのだ・・・。

 この大胆な発想、緻密なデザイン、理想に近づける極め方・・・、一緒に働いていた人は「さぞかし大変で付き合いにくかったことだろう。
 だが今では、機械に使われるのではなくて、それぞれが自由に機械を使いこなす時代をがむしゃらに引き寄せようとした彼の意気がだれにも伝わっているのではなかろうか。



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by miriyun | 2012-01-30 00:05 | Comments(6)