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2008年 06月 22日

船が丘を越える(2)

 船頭多くして山に登る・・・ということわざがある。
大勢で好き勝手なことをいってまとまらないと、できっこない方向に行ってしまうという意味で使われるのであって、船が山に登るというのは、「ありえないこと」の代表的例えとして用いられている。

 しかし、メフメット2世にとってありえないことではなくて、やろうと思うことはやるという考え方であった。このことだけでコンスタンティノープルを陥落できたわけではないのだが、味方にとっても、敵にとっても心理的影響ははかり知れないものがあったであろう。

 このときの様子がタイルアートとなってイスタンブルにある。現代作家の手によるものであろうが、さすがにタイルの国である。
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 横幅数mの大作品であり、また、北側から南に位置するガラタ塔方面を見渡したものである。艦隊の丘越えをイメージングしたアートとしてよくできている。

一方、南から北をみると、
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 ジェノヴァ人居住地はその後城壁はなくなったが、ガラタの塔は昔と同じ位置にある。
 鉄鎖で封鎖していた金角湾入口方面から北を望むとガラタの塔と町並みは見えるが、その背後で大工事がおこなわれ、前代未聞の艦隊の丘越えがおこなわれているとは誰が想像しよう。

絵地図タイルアートで見ると次のようになる。
c0067690_947857.jpg

  (絵地図であるため、岬の位置や距離感は正確ではない。城壁と街の雰囲気とおおよその位置関係を見るにとどめよう。丘越えのイメージラインはmiriyunが記入した) 

 唯一の可能性は、中立を表明していたジェノヴァ居住区の城壁の見張りである。いくら、鎖のあたりで砲撃がおこなわれ、トルコの軍楽隊が大音量をたてていても、全く気付かないというのも不自然だ。
 中立であるということと、スルタンの怒りがこの町に向くことへの恐れがビザンチン側への注進をとどまらせたと考えたほうが理にかなう。

 ≪注≫このとき、ジェノヴァ居住区はあまりにも無防備でスルタンの一声で全滅する可能性のあるところなので中立を表明、スルタンに挨拶しつつ薄氷を踏む生活をしていた。一方、ジェノヴァ本国はビザンチン帝国の危機にたいして船と人員を派遣して皇帝コンスタンティヌス11世を援助していた。
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                ↑ 赤はビザンチン・ジェノヴァの艦隊
                   紫はトルコ艦隊
 こうして、70隻を越えるオスマン艦隊が金角湾に半日で滑り込んだ。地図を見るとわかるようにこれによって、海での形勢は逆転。ビザンチン・ジェノヴァ船はトルコ艦隊に挟まれた形となったのであり、いつでもトルコ側はこれを倒せるという優位にたつことになった。

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by miriyun | 2008-06-22 09:54 | トルコ | Comments(4)
Commented by Azuki at 2008-06-25 00:24 x
すごすぎて、夢物語のようです☆*丘を越えてきていると言われても信じないかもしれないです。すごすぎます~@@
Commented by miriyun at 2008-06-25 06:15
Azukiさん、つくったけれど船が進水できなかったという話は良くありますが、これだけの艦隊を丘越えさせようなんて考える。人間の発想力ってすごいですよね。いつか調べてみたいという気持ちをずっと持ち続けていました。
Commented by 赤岡 龍男 at 2016-12-03 17:39 x
読みやすく、分かりやすい、ありがとうございます。
Commented by miriyun at 2016-12-06 08:02
赤岡さん、ようこそ!
トルコとビザンチンとの攻防の中で行われた
考えられないような作戦に
興味を持って読んでいただきありがとうございました。


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