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2008年 06月 12日

最後のよりどころテオドシウスの城壁

 ビザンチン帝国を1000年もの間守ってきたのはテオドシウスの城壁である。
        テオドシウスの城壁と位置
二重の分厚い壁、その間あいだに林立する頑丈な四角い塔、そしてそれぞれ空間は十分に開けながら、最も内側の塔からはすべてが見渡せるようになっている高さ、更に二重の壁の外にはまた空間、そして三番目の柵、更に幅20mの堀が横たわる。

 ビザンチンの宮殿は現在のトプカプの位置にほぼ等しく、ここを廻る三角形の城壁のうち、陸から攻められるのは北西方面だけで、ここがこの強固な三重の城壁と堀で守られているのだった。

 そして、他の三方は海で囲まれていること自体が防御であった。

最後のよりどころテオドシウスの城壁_c0067690_2248393.jpg

★マルマラ海から見るテオドシウスの城壁
使われなくなって久しいが、まだなお、峡間胸壁と矢狭間もしっかりしたテオドシウスの城壁がこの岬の周囲をずっと廻っている。
上の建物はトプカプであるが、この位置にビザンチンの宮殿もあったので、このような景観だったと考えられる。15世紀、まだこの城壁の中にビザンチンの皇帝が君臨し、周りからトルコ軍がせまっていく。そのイメージで城壁を眺めてみよう。人が歩いているのにr対して、城壁が高く聳える。

最後のよりどころテオドシウスの城壁_c0067690_22404681.jpg


  手前に城壁が見える。しかし宮殿の壁は窓を極端に少なくしてほとんど壁にしてあるので、この宮殿の壁も含めて城壁の役目をしている。
尚、帝国の中心である宮殿がこのように見える場所にあり、テオドシウスの城壁が一重のみであることは防御の上で弱いように見える。が、この海はボスポラスからの潮の流れが10km/hを超えてまるで川のごとく激しい。また風も強いことによって、船は思うように操れない場所でもあった。

 したがって、都のマルマラ海側は天然の要害であり、歴史上一度もここから城壁を破られたことはないという。

◆このころ、すでにオスマンの1~6代によって、コンスタンティノープルはトルコ領土内の陸の孤島となっていた。しかし、ビザンチンの皇帝は、この1000年前の城壁とキリスト教国の援助を頼むばかりで、バヤズィットの代の危機をたまたまティムールの来襲のおかげで乗り切ってから、なんら新しい工夫も配置もおこなっていなかった。

・・・・1453年メフメット2世は、この城壁に守られ3つの海を睥睨するビザンチンの都・コンスタンティノープルに挑もうとしていた。

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by miriyun | 2008-06-12 22:45 | トルコ | Comments(0)


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