希代なムラト2世…オスマン朝の歴史(2)

☆オスマンが力を付け始めたころのビザンチン帝国はアナトリアと同じようにいくつもの諸侯や王国にわかれ、ビザンチンの皇帝はこれらの国に対する影響力は失われ、強固な要塞に守られているものの、軍事力は弱ってきていた。
 
 それに対して14~15世紀、オスマンの子や孫は、武運つよきもの、人柄優れ、政治力あるもの・信仰篤きもの、学問・科学に造詣の深いものが続いていく。それと共に領土は拡大、首都の位置も変わってエディルネ(アドリアノーポリ)になっていった。しかし、ティムールによってアンカラの戦いで大敗北を喫し、それによる勢力の後退、支配者の分裂を招いた。

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 ◆5代 メフメット1世(1413~21)

その痛手を修復したのがチェレビー・メフメット,すなわちメフメット1世である。

 1402年より、分裂し混乱していたアナトリアを再統一したのが彼だった。アンカラの戦い以後の混乱から実に12年たっていた。かれは弓の上手でもあり、優れた政治家でもあったといわれている。


 ◆6代 ムラト2世(1421~44、1446~51)

 ムラト2世は軍人としても政治家としても優れた人物であった。そして、この時代の君主としては異例の戦争を好まない性格を持っている。話し合いや講和では平和を重んずる態度を貫き、帝国の東のアナトリアでも、西のハンガリー・セルビアとも平和を確立した。  

 なんと、ここで譲位!?   
 しかし、教皇は十字軍を結成。平和の誓いを破ってハンガリー王もそれに参加して攻めてきた。またベネチアの艦隊はトルコ軍を動かせないよう海峡を封鎖した。このとき、1444年ヴァルナの戦いで十字軍を破り、ポーランドとハンガリー王を倒した。すると、ヴァルナの戦いで圧勝したムラトは40歳という若さで幼い息子メフメットに譲位し、自分は引退してマニサで文人生活を送った。
 
◎少年スルタン・メフメット2世(後の征服王である)はムラト2世の3男として産まれた。母親はもと奴隷で身分は低い。2歳で小アジアに送られる。5歳で長兄が亡くなり、メフメットはアマシアの総督に任命される。さらに6年後次兄が暗殺された。
 これにより、特に父から目をかけられていたわけでもなかったメフメットがスルタン・ムラトの跡継ぎとしてアドリアノーポリ(エディルネ)の宮廷で早くも父の留守を守る立場になり、ついには11歳でスルタンになったのである。

  しかし、前出のように、外因は諸国の攻撃に対するため、そして内因は大臣たちの少年スルタンへの不安を持つ大臣たちのクーデターにより、ムラト2世は突如隠居先のマニサからエディルネにやってきて復位した。
 
◎メフメットが少年スルタンとして実権を握っていたのはたった2年で、父の復位ごはマニサに追放された。メフメットはこの時14歳、しかしただの14歳ではない、スルタンとして君臨してきた誇り高き14歳が地方に追いやられ、やりきれない若さの中で活躍の場を与えられずにいた。

 その後、ムラト2世はアルバニア・ハンガリーを再度打倒(第2次コソボ戦争)し、ドナウ川とサヴァ川までのバルカン半島はすべてオスマン朝の支配下としたのだった。

 このムラト2世はなにやら不思議な人物だ。
戦争をしなくてはならない時は果敢に迅速な対応をするが、常日頃は文化を大切にし、教育・芸術の普及を推し進めた。自らも文化に親しむ生活を好み引退生活をする。わが子メフメットに対する態度も冷徹であったようにも見えるし、実は君主として育てていたのかなとも思えなくもない・・。果たして、心のうちはどうだったのだろう。 

 また、若くしてスルタンの重責と屈辱とを経験した少年メフメットはこの体験から何を得ていったのだろうか・・・。  
                                                                    
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by miriyun | 2008-06-10 05:45 | トルコ | Comments(2)
Commented by kiwidinok at 2008-06-11 08:50
36代に及ぶスルタンの名前を覚えるどころか、読んだ端から忘れてしまうような私ですが、ここに書かれている「ムラト2世」だけは覚えていられそうです。
産まれる時と場所が違っていたら、彼はどんな人生を歩んだのだろうかと考えながら読んでいたら、何だかかわいそうにも思えてきました。
Commented by miriyun at 2008-06-12 09:44
36代、それぞれが波瀾に富んだ中世から近世にかけて世界の中で大きな役割をしてきています。自分でも絡まっている糸をほぐしながら書けたらいいなと思っています。
 興味を持っていただければ嬉しいです。


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