先代アヤ・ソフィア

 現在のアヤ・ソフィアができてからの歴史は以前のイスタンブル歴史紀行で述べたが、その前については語っていなかった。

 現在のアヤ・ソフィアは3代目のアヤ・ソフィアである。

◆1代目アヤソフィア
  330年にコンスタンティヌス帝は東西ローマを統一してビザンチウムに入りミヤコヲコンスタンティノープルとした。
 そして360年に皇帝は今日のアヤ・ソフィアの場所に「メガロ・エクレスィア(大寺院の意)」を建設させた。大理石の円柱も使ったがほぼ木造のバシリカ風の建築であり、今よりずっと小さいものだった。しかしギリシア正教の要となる寺院、アヤソフィアとなったのである。アヤ・ソフィア(ギリシア語ではハギア・ソフィア)の意味は「聖なる知恵」である。
 
 そして、381年、東西分裂したときに東を受け継いだアルカディウスの妃エウドキアとそれを批判するクリソストム大主教の論争・政争が続く。404年大主教追放を行ったときに、このアヤソフィアから出火した。おそらく放火であろうが、これにより初代アヤソフィアは消えうせた。

◆2代目アヤソフィア
木造アヤソフィアの跡地に、テオドシウス皇帝の命で建築家ルッフィノスが12年かけてより大きく堅固な寺院が建てられた。この2代目は100年余りその任を果たす。
c0067690_1829089.jpg

その遺構を捜すと案外簡単に見つかった。2代目アヤソフィアの正面の壁上部の装飾大理石である。

 この石の右半分で情報のほとんどを見出すことができる。まずは羊のレリーフ。羊を文様に取り入れるのはキリスト教のほうが多い
c0067690_18294671.jpg

 右端には 「生命の木」 にあたるものがある。これはメソポタミア文明以来の文様でありオリエントの証しでもある。キリスト教的にはどういう意味があるかは知らない。
c0067690_18293561.jpg
 




 そして、羊の上にはローマ帝国・ビザンチン帝国いずれもローマ文化としての象徴的文様である卵型の浮き彫り が施されている。


 そして、この下部には丸に十字のこの頃の十字架文様が彫られている。

 ハギアソフィア遺構の証しである。




 この2代目が失われるのは ユスティニアヌス帝のときである。
すでに広大な帝国は異民族によって弱体化の一途をたどっていた。東ゴートはイタリア、西ゴートはスペイン、ヴァンダル族は北アフリカを席巻し、キリスト教会は分裂していた。

 民衆の不安は極限に達し、532年、ニカの乱という民衆暴動がおきた。
 「ニカ(勝利)!、ニカ!」と叫ぶ反皇帝運動の民衆が暴動から放火・略奪に走り、アヤソフィアも修復不能なほど、破壊された。

 このように草の上に伏す遺構をみるとそのときの弱気になった皇帝の姿が垣間見えるようである。
 
 ユスティニアヌス帝がこの時の落ち込みから立ち直り3代目アヤソフィアをつくる。
   その後の様子600話 アヤソフィアへ。
それが現在のアヤソフィアなのである。
                         歴史物語に応援よろしくお願いします
by miriyun | 2008-03-15 18:31 | トルコ | Comments(3)
Commented by ぺいとん at 2008-03-25 06:42 x
「生命の木」、なつめやしみたいですね。アダムとイブが食べたのはりんごではなくて(全く知りませんが聖書発祥の地ににりんごが生えているのか疑っています)こちらなのではないのかと密かに思っています。 
たまごに羊、十字架、ご復活の時期に良いタイミングです。
Commented by miriyun at 2008-03-25 23:10
オリエントの文様ナツメヤシ・・・これは意味合いからしても生命の木にふさわしいですね。ぺいとんさんのいわれるりんごの件はたしかにどうかなと思いますね。。
 ちょっと北のシリア・レバノンの高原地帯ではりんごは栽培されていますがキリスト教の発祥の地ではどうでしょうね。どちらかというとなつめやしのほうがしっくりしますね。
Commented by キリスト教徒 at 2011-01-19 20:25 x
アヤ・ソフィア博物館、キリスト教に返還されて、大聖堂として復活する日を楽しみにしています。


<< 『聖四分円(2)』The Sa... トルコ家庭料理…セロリ・ネギ・... >>