写真でイスラーム  

mphot.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2006年 12月 22日

アラビアのロレンスと鉄道爆破…ヒジャーズ鉄道(7)

1. ヒジャーズ鉄道は歓迎されたのか?

 もちろん立場によって異なるので、それぞれの立場から考えてみよう。

① トルコ政府
 前出のように、ダマスカスにあるヒジャーズ駅は駅としてはステンドグラスとレリーフなどで邸宅のように重厚華麗なものであった。
 トルコはもちろん威信と半島支配への実効をかけて建造したものである。

② ダマスカスの商人
 また、ダマスカスの商人はスエズ運河ができてから約半世紀で交易の中心が船に移ってしまったことを身にしみていたことだろう。
 だから、トルコがドイツの技術で作ったとはいえ、商売上は歓迎したことだろう。実際、ここから乗る乗客は十年の間に十倍にも膨れ上がり、ダマスカスが鉄道拠点として一花咲かせることにもなった。

③ 一般の利用者
 一般乗客はもちろん苦しい砂漠地帯を2ヶ月もかけていかなくてもメディナまでは座っていていくことのできる鉄道を歓迎した。

④ 沿線上の遊牧民
 では、沿線上の遊牧民はどうだっただろうか。彼らのなかには巡礼で訪れる各国からの客にラクダとロバと道案内を提供することを仕事にしている者が数多くいた。それが鉄道に乗って通り過ぎてしまうため一切の収入をたたれた。
 そこで、列車を旧式の銃で襲撃することもよく起きたという。以来。列車にはトルコ兵が重装備して乗ることになる。

⑤ トルコ軍
 アラブ独立戦争前後からの鉄道はどう使われたのか?
もちろんトルコの軍隊・軍馬・火薬・物資など兵站輸送に使われ、列車そのものが軍隊であった。
 
2、アラブの反乱(アラブ独立戦争)とT.E.ロレンス

① メッカの太守フセインの息子たちがトルコへ反旗を振りかざしたアラブ独立戦争がヒジャーズ地方で(聖地周辺の紅海沿岸部をいう)におこった。
 そのとき、飛行機・大砲というものを知らぬラクダ・馬に乗った銃のみを使用するアラブ軍はトルコからの陸空からの攻撃に逃げ惑った。

② このときにイギリスが連絡将校としてよこした者たちの中にT.E.ロレンスがいた。ロレンスはファイサルにアラブの反乱を成功に持っていかせるだけのカリスマ性を感じたようで、以後ファイサルが一時シリア王、後にイラク王になるまで親交がある。
アラビアのロレンスと鉄道爆破…ヒジャーズ鉄道(7)_c0067690_1301090.jpg

     ↑軍服姿のT.E.ロレンス
アラビアのロレンスと鉄道爆破…ヒジャーズ鉄道(7)_c0067690_1302767.jpg

  ↑アラブ服のT.E.ロレンス(以上2点はNHK「そのとき歴史は動いた」の画面より引用)           
 さて、T.E.ロレンスはカルケミシュを発掘に参加していた若き考古学者でもあり、アラビア語の部族方言を聞き分ける語学力と鍛えた身体を持つ一風変わった人物である。しかしロレンスは一介のイギリス将校でしかないのに、何が彼の存在を歴史的なものに変えたのか。

 彼の存在意義や印象はアラブ・トルコ・イギリス・フランス・ドイツ・アメリカでもちろん全く異なる。

 時は第一次世界大戦。トルコ・ドイツは敵国である。敵味方の思惑以外に連合国の間にも密約があり、その中でも英仏は腹の探りあいであった。イギリスは戦費の不足を後にユダヤ資本に頼るようになる。この戦争では第三者であったアメリカは気楽な立場ではあったが後への影響力は残そうとしている。

 だから、どの立場で彼を論ずるか、どの資料で語るかで印象は全く異なる。また、同じ国民から見ても一筋縄で理解できるような単純な人物でもない。だから、ロレンスを取り上げればまず、学術的なものから心情的なものまで反論・疑問噴出してしまうだろう。 諸説検証していられないので詳しくはもっともロレンス情報を集約しているHPを紹介しておこう。
http://homepage3.nifty.com/yagitani/index

 T.E.ロレンスの戦略
 さてここでは、彼がアラブ軍とともに戦い、そしてアラブ軍が砂漠という戦場で戦う方法に彼の意見が関わったということをあげておこう。そして、成し遂げた大きなことがアカバ攻略・ヒジャーズ鉄道爆破・ダマスカスへのアラブ軍の一番の入城であった。
アラビアのロレンスと鉄道爆破…ヒジャーズ鉄道(7)_c0067690_12592765.jpg

     ↑ワディ・ラム近郊でサウジアラビア方面へ曲がる線路
      ・・・このあたりでもロレンスは列車を襲撃をしている。

④ ヒジャーズ鉄道
 ヒジャーズ鉄道への攻撃は1917年3月、メディナの北へ100kmのあたりで激しく行われ、トルコ軍のメディナへの侵攻ができないようにしていった。その後、北上し鉄道爆破をしながら戦い、7月にはアウダ・アブ・ターイーの協力を得てアカバを背後から攻撃し、トルコ軍を倒した。その後も徐々に鉄道に攻撃しながら北上していき、最終的にダマスカスへ入城したのである。

 ヒジャーズ鉄道の襲撃回数は90回を越えるといわれる。その結果ズタズタになり砂漠の鉄道はその後復旧していない

 その沿線上で現在使用されているのは2箇所だけである。北部のダマスカス~アンマン路線は車の3倍近く時間のかかる超ローカル線としてお客をのせている。南部路線ではリン鉱山から資源をアカバへ運び出す路線として使われているに過ぎない。
アラビアのロレンスと鉄道爆破…ヒジャーズ鉄道(7)_c0067690_14431120.jpg
   
     ↑燐鉱山との間を行く貨物列車

 ごくまれにヨルダン南部でお客を乗せた列車を走らせたことがあるようだが、次はいつかというと、あてはない。
 この鉄道の採算があえばヨルダンのアブドッラー国王が動く可能性はあるが、採算で考えるなら何か大きなプロジェクトとの一環として動かなければ難しい。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
                                               一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   
   
 


by miriyun | 2006-12-22 11:44 | ヨルダン | Comments(2)
Commented by ransyu at 2006-12-23 18:41 x
またまた、お久しぶりです。映画「アラビアのロレンス 」を見たり、知恵の七柱も読んだことがあります。アカバという地名も懐かしいです。
あの鉄道がヒジャーズ鉄道なんですね。いまでは一部しか使用していないんですか。miriyun さんは中東はどこでもいらしてるようですね。
Commented by miriyun at 2006-12-23 23:39
ransyuさん、映画「アラビアのロレンス」は印象深かったですよね。ピーター・オトゥールという役者もロレンスに劣らずこだわりタイプの人です。時々両方の印象が混ざってしまいます。また、ファイサルのことも調べているとあまりにも似ているので、時に映画のファイサルに歴史上のファイサルが似ているのかと錯覚しそうなほどです。


<< ヨルダン・アブドゥッラー国王と...      ハーシム家とヒジャーズ鉄道…ヒ... >>