写真でイスラーム  

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2006年 09月 02日

ヌールさんの話・貧しき人ほど~

 シリアの避難民についての考え方や、シリア人の考え方を知りたい。そんな疑問を持ち、博物館でであったヌールさんにお話を伺いたいと思った。ほんとうに偶然の出会いであったのだが、ほんの少し聞きかじった言葉から、この人の話を聴いたらシリアの人の本質にせまれるかもしれない・是非聞かなくてはいけない・・・そういう使命感にも似た思いがわたしの心にせまってきたのだった。

 その後古文書修復を指導されているNさんから、日本語教育担当のsariさんに連絡をとってくださった。Sariさんから何とヌールさんにも連絡できることとなったのだ。思いを感じ取って下さり、労をとってくださったお二人に感謝するばかりであった。
 なお、sariさんの『北米、南米そして中東へ』には、シリアでの学生さんの様子・避難民と一緒の様子などが詳しくあらわされているので紹介しておきたい。
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 ダマスカス大学の語学研修センターの研究室で合えるよう場を設けていただいた。ヌールさんは日本語を習って一年という。細かな思いまでは伝えられないということで、そして日本語を教える立場になっているアマルさんが同時通訳をしてくださったのだ。結局お二人からシリアの方の考え方、避難した方の思いをきくに至った。

 ダマスカス大学で再会したヌールさんはこちらのほんとうのシリアを伝えたいという思いをわかってくれたのかじっくりと答えてくれた。若いが明快な思考と行動力を持った女性で、アラビア語・英語・フランス語を使った仕事をしながら、さらに日本語を習っていた。
 以下、ヌールさんを中心にアマルさん・sariさんと話をしてのレポートである。

☆・・・☆・・・・☆・・・☆・・・レバノン避難民とのかかわり☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・
 7月、戦争がおきてすぐにボランティアとして避難民が国境を越えてやってくるところへ出かけていった。
 もとは、シリアのred cross(赤十字)でボランティアを行っていたが、その後は自分でボランティアをしている。赤十字は一定のルールを守らなくてはならないので、思うように活動できないので、赤十字から離れて、自分で動きやすいように大きな赤十字という団体からはなれて活動するようになった。

*子どもの文化ボランティアも行っているらしい・・・絵を描く5日間かかるアレンジ・・・200人(5~18歳)

最初はレバノン~シリア間の国境を通ることができた。ヌールさんは自分で物品を持って国境まで迎えに行って手助けし、避難民をうけいれた。初期の頃に逃げてきたのが先日あった子どもたちとその家族。早くに逃げてきたのでまだ国境は通れた。現在(インタビューした8月7日)はもう通ることができない。ボランティア仲間もレバノンからこちらへこれなくなってしまっている。

 避難してきた人たちの状況。
爆撃されてからは歩いて逃げてくる人が多かった。はだしの人も・・・。子どもたちの中には、爆撃で人の手足が吹っ飛んだような状況を目の当たりにした子もいる。お父さんを失ったばかりの人もいる。南部からの避難民が多いが、バールベグも爆撃された。

 ダマスカスへの道はふだんから両国の人が行き来して交通量も多い。そこを通る避難民家族が爆撃されて大変悲惨な現場になった。からは、車は赤十字のマークをつけていても標的にされるということで歩いて山脈越えして逃げてくるのだ。ヌールさんは国境も越えて迎えに行き、国境を越えるとシリア側の車に乗せてダマスカスへと同行してくるのだ。そして学校や保育園に一時避難し、ボランティアがそこで受け入れ家庭を探して各家庭へ分散していくのだそうだ。
 
 あるシリア在住の女性は財産をなげうって、避難民の保護を行っている。シリア人もレバノン人も次々とやってくる避難民のために援助を行っている。最大の援助は家を貸すことで、ヌールさんの母もタダで家を避難民に貸している。1000以上の家族が次々と各家庭に受け入れられて避難している。
 
 実は、ここまで聞いただけでも私としては驚異であった。なぜなら、避難してきた人が各家庭に、しかも見ず知らずの家庭に受け入れられているとは全く思っていなかったのだ。もちろん日本だって親戚・友人などを、時には預かってということもあるだろう。集団の例を考えてみると、昔の学童疎開などはそれにあたる。だが、他人を村で預かるということをしたのだが、家庭で預かったわけではない。

 それなのに、どうしてそんなことができるのか?社会主義の国だから上からの命令が行き届いていてそうするのか?あるいはイスラームの考え方からなのか?そんなに家や生活に余裕のあるシリア人がたくさんいるのだろうか?

 すると、更に驚いたのだが、生活に余裕のある人ではなく、貧しい人ほどうけいれてくれるのだそうだ。

 貧しい人のほうが気持ちがわかるということなのだ。例え一部屋しかなくても引き受けてくれる。中には一部屋しかないところに7家族で同居するようになったところもあるという。



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by miriyun | 2006-09-02 17:15 | シリア | Comments(2)
Commented by ぺいとん at 2006-09-03 23:15 x
ポチッどころではなく、ぽちぽちぽちぽち何回でも押してしまいます。 

貧しい人ほど天国に近いところにいるのですね。昔、アフリカ難民が小さなパンを皆で分け合っている写真を見たことが蘇ってきました。 

miriyunさんを通して泣かせてくれたシリアの人々と レバノン難民の人々の上におおきなお恵みがありますように祈ります。 ヌ-ルさんがたもお気をつけて。 遠く、苦しみの中にいるまだ知らぬ人々にも。


Commented by miriyun at 2006-09-05 06:31
拙い文で綴っているのに、何かを感じてくださる方がこうしていらっしゃる。それが書くための勇気を与えてくださいます。
 どうもありがとう。いろんなことを少しづつでも伝えて生きたいです。


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