サラディン800年 エピソード集
 ★エピソード1
 シリアでは、サラーフッディーンの没後800年を記念して、ダマスカスの旧市街の城壁の外に騎馬姿のサラディン像を建造した。


 雄々しきサラディンはダマスカスの城門の前でイスラームの人々を守るかのようにたつ。また、身体は南に向きながら顔の向きと視線はやや西にそれていて、彼が生涯をかけて守ったアル・クドゥス(エルサレム)を見据えているかのように私の目には見えた。
 ・・・(注)ダマスカスからエルサレムは、南南西の向きである。




 ★エピソード2

 また、サラディンのアイユーブ朝の本拠地アル・カーヒラ(カイロ)のシタデルにはやはりサラディンの胸像がある。全身像でないのが残念であるが、目は思慮深くいい目していると思っている。(胸像は世界遺産探検ロマンより引用⇒)
 また、以前にイスラーム都市カイロのテレビでの扱いについて紹介をした。その中でサダカにより病院や学校・モスクの運営費にあてたという話が出てきた。
 実はサラディンはアイユーブ朝を作ったところで無料の病院などのしくみを作り始めている。。十字軍との戦いで本拠地のカイロを離れていることが多く、墓もシリアにあるわけだが、彼はカイロという街に頑丈なシタデルとモスク、そして人々の間にはサダカの精神を残したということになる。

 ★エピソード3
 サラディン廟にヴィルヘルム2世が大理石の棺とシャンデリアと金属製の花輪を贈っている。これは、当時のパン=ゲルマン主義に関係する政治的な動きの一環と考えられる。しかし、民族主義のヴィルヘルム2世がここまで手の込んだ重い贈り物を持ち込んだ真意は何だったのだろう。不可解な気がする。
 
 ★エピソード4
 調べていくうちにもっと謎だと思うことにぶつかった。1918年、アラブ軍と共に戦いダマスカスに入城した、かのT.E.ロレンスは、このサラディン廟を訪ねている。考古学者であり、大学の時に中東を単独であるきまわり、十字軍関連の城塞を研究して卒論を書き若くして教授たちをうならせていたロレンスである。サラディン廟を詣でることは不思議でもなんでもない。
 だが、ロレンスはこの時、ヴィルヘルム2世が置いていった金属の花輪を持ち去っている。

 歴史資料としてなのか、戦利品としてなのか?アラブの英雄サラディンにドイツの贈り物がふさわしくないと考えたのだろうか?ドイツ・トルコを敵として戦っていた第一次世界大戦のときである。ロレンスは何を考えていたのか興味深い。

 
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by miriyun | 2006-05-18 18:29 | サラディン紀行 | Comments(0)
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