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2006年 04月 09日

カラク城…サラディンが攻め落とした城

 カラク(ケラクともいう)は、1136年、十字軍の要塞として築かれた。戦略的に重要であり、また通商ルートでもあったからだ。十字軍はここを通るアフリカ・アラビアのキャラバンから通行料を徴収し、これは十字軍の王国の重要な収入になったのだ。
 カラク城塞より麓を臨む。カラク城塞は標高1000mの険しい山の上にあり、眼下に敵を見下ろすとその高さの違いから攻めにくいことがわかる。
カラク城…サラディンが攻め落とした城_c0067690_1036596.jpg


 十字軍は、ギリシア・ローマ時代の建築物を壊してこの城塞をつくった。そのため、石材は粗雑に積み上げられ、中には、明らかに遺跡の一部であることがわかるものもある。クラック・ド・シュバリエと比較するとつくりが荒々しい印象を受ける。なお、クラック・デ・シュバリエのクラックもカラクも同じ十字軍を意味する。
カラク城…サラディンが攻め落とした城_c0067690_1034521.jpg

↓ 城塞の造りは荒く、石材は寄せ集め。ローマ帝国時代の遺跡の石の使われている。
カラク城…サラディンが攻め落とした城_c0067690_10353015.jpg

         ↓ ローマ遺跡の柱の柱頭が横になっている。
カラク城…サラディンが攻め落とした城_c0067690_10355570.jpg


 ムスリムからは忌み嫌われ、フランクの和平派からも疎まれたルノー・ド・シャティヨンが1170年代後半から城主になる。サラディンはここを何度か攻めたが、最終的には1180年に8ヶ月にわたってこの城塞を取り囲み、ついには占領した。

 現在、山の上の城塞はヨルダンの観光地として、大型バスで坂を上がっていく。しかし、通過する町の中にサラディン像が置かれていることはあまり知られていない。
 
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by miriyun | 2006-04-09 10:45 | サラディン紀行 | Comments(4)
Commented by charsuq at 2006-04-10 12:38
このあたりの歴史に疎いのでいろいろと勉強させてもらっていますが、なかなか頭にスポンと入ってきません。「サラディン紀行」はまた時間があるときに始めからゆっくりと読ませていただきます。それにしても毎日投稿される時間とそれを調べたりする時間、お忙しいのにすごいなと関心しております。
Commented by caffetribe at 2006-04-11 19:25
充実した歴史物語を、わかりやすい解説と綺麗な写真で一気に拝見させていただきました。こちらもこれまでこのあたりの歴史には疎くとても勉強になりました。主人ヌールッディーンとの葛藤で悩むサラーフッディーンの人間像、そして、謙虚さと独り占めしない人間の大きさに改めて興味をそそられました。モンゴル朝のハーン達も略奪や税金として集めた財宝は、部下達に気前良く分け与えたと聞いた事があります。今時の政治家とは器の違いを感じます。これからの投稿も期待しています。
Commented by miriyun at 2006-04-13 02:19
charsuqさん、サラディン廟をきっかけについサラディンと言う人物がこの地域でどう動いてきたのかを自分自身が納得できるようにまとめはじめてみました。思った以上に複雑な人間模様があったことと、筆致が滑らかでないこともありわかりにくいんだと思いますが、よろしくお願いします。。
Commented by miriyun at 2006-04-13 02:28
caffetribeさん、800年以上前の歴史なのにとてもその気持ちがリアルにわかるようなところがあります。サラーフッディーンはもちろんですが、それ以外の登場人物たちにも興味をそそられた次第です。
 写真も楽しんでいただけて良かったです。こんなに長々と書いてしまって、どうしようかと思っていたのですが、楽しんでいただけたという言葉に勇気づけられました。ありがとうございます。


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