「皆様へ」の挨拶・・・高橋大輔

1.公式HPに皆様への挨拶 
関大のDaisuke Takahashi HPに、「皆様へ」と題した挨拶が18日掲載された。
 そう、いつも、大事なことの発表も、HPへの言葉もきちんと自分の言葉で語る大輔さん、やはり、公式にも来ていた。

http://www.kansai-u.ac.jp/sports/message/takahashi/
ご存じかと思いますが、先日引退を発表しました。
このHPでの報告が遅くなりすみません!!!
スケートを始めた頃、日本代表に入ること、グランプリシーズ、全日本選手権、そして世界選手権で優勝すること、ましてやオリンピックに3回も出場し、銅メダルを獲得することは夢にも思っていませんでした。それらの夢を、沢山の方々の力を借りて現実のものにする機会に恵まれました。
競技生活は大変なこともありましたが、どれもこれも本当に色々な方に支えられ、やり抜くことができました。スケートを始めて20年、スケートを通じて色々な機会に恵まれ、これほど長い間、競技選手としてスケートを続けてこられたのも皆様のおかげです。この場をお借りして、皆様に感謝と御礼を申し上げます。
ファンの皆様には、ジェットコースターのような僕の競技人生にお付き合い頂き、いつでも温かく見守ってくださり、僕を支え、挑戦し続ける強さを与えてくれて、本当に感謝しています。
引退してから競技者に一度戻れる、ということもフィギュアのルールにはあります。僕自身、競技者として未練がないわけではないです。ただ、競技者に戻るとしても、新しい道に進むとしても、一度区切りをつけることが必要だと思い、この決断をしました。この決断が僕をどのように導いていくかは未知の世界です。競技生活での充実感を越えるような新しい目標を考える日々には不安もあります。でも、それと同じぐらいこれからが楽しみです。
こんな僕ですが(笑)、今後も温かく見守って頂ければ幸いです!
また皆様とお会いできる日を楽しみにしています!
Daisuke


 大輔さんの言葉をもれなくお伝えするためにそのまま引用させていただいた。


2.磨きこんだ原石
◆たくさん成し遂げてきた人
スケートを始めたころには世界チャンピオンになることも、オリンピックに3度も出場することになるとは思っていなかったという。
 しかし、艱難辛苦の経験を積みながらたくさんの日本人初のタイトルを得て、また、臨海スケートリンク存続への知事への申し入れとその後の運動、、神戸チャリティの企画と継続、日本で行われた国別対抗戦でのリーダーとしての働き、開催国代表としての挨拶等、この人がいなくてはという働きをし続けてきた。

◆自分に厳しかった人
 確かにジェットコースターのような競技人生と表現しているように大会ごとに出来の浮き沈みはあった。しかし、今思えば、頑固なまでに常に新しい演目・新しい技・より良いスケーティングを目指してきたからに他ならない。
 倉敷時代の佐々木コーチが最近言った言葉がある。「難しくもなんともない滑りのところで大ちゃんは転んでよく笑われていた。それって、何でもないところでもエッジを深くとやっていたから・・・。」(大人になっても海外の選手と戯れているような練習中にもころりと転ぶ。安藤さんにもなんでそんなに転ぶと笑われていた)
 確かに大輔さんは、スケートの習い初めにケガをしないために転び方から教わったと言って、こどもたちや初心者に教えるときに転び方を教えている。

 選手は誰もがジャンプをし、スピンをし、プログラムの完成を目指す。しかし、普段の練習でもエキシビションの練習の合間でもディープエッジで切れよく動くことを追求し続けている人は少ないのではないだろうか。

 それに新しいプログラムを与えられれば、それを目指して、8~9割できてくれば満足してしまう選手もいる中で、高橋選手の場合は初め転んでばかりいる。あの難しいソナチネのステップ練習。宮本先生との練習映像ではよく転んでいる。つまり最初からできるようなのを高橋選手が望まないから、宮本先生も世界でこれができる人はいないのではないかというくらいのを振付ける。だからコロコロ転ぶのだが、ころんでばかりいた演目も慣れてくるともっとできるという空気を醸し出すので、さらに難しくしていき、より表現できるように進化させていることを振付師の宮本賢二先生がたびたび口にしている。
 何しろ、自分に厳しく、自分の演技に対して厳しかった人なのだ。

◆作品磨きは同時に高橋大輔自身を磨いた
 そして自分を追い込んでつくりあげた作品は、世界中の人を虜にして、高橋大輔の演技を見続けていたくなる、そんな演技なのだ。
 高橋大輔は一つ一つ珠玉の作品をつくりあげていった。
新しい曲で新しい技術を取り込んで挑戦するのだから、転ぶし、めげるし、練習時間はたくさん必要になる。
それを毎年繰り返してそのたびに名作にしていく。そうしているうちに高橋大輔が登場するだけで期待で会場の空気感が変わるようになった。

 作品としての演技はこのように磨き抜かれて行くわけなのだが、磨く過程で、高橋自身の身体も研磨されていった。新しい技術が身に付き手の動きも身体のキレも研ぎ澄まされる。
 初期のうちから、自分の工夫で曲の盛り上げたいところでスピード感を持ったまま首グルングルンやる。これは本当に曲の盛り上がりを最高に表現するし、他の選手はとうとう真似できなかった。

 オペラ座の怪人でニコライに振付けられた鏡を見る所作をあのスピード感あふれる演技の中で入れていたがその瞬間的な手の動きはその後の演技で小さな動きを入れるのを容易にしている。
 熊川哲也さんは高橋大輔は上半身と足が微妙な差をつけながら動かすことが出来る。それがダンスが上手い人と言っていた。
 一瞬で身をひるがえし、一瞬で手や首のどこかで小さな音符の変化をあらわす。

 天才的な音のとらえは、歌子先生が中学2年の高橋大輔を見て感じたくらいだから、それはもともとだったのだろう。しかし、そんな音をあらわせる身体は年とともににさらに細かく加わっていったのだ。今年、休養に入ってからはこれまであまり使わなかった肩の動きも入ってさらに多彩な動きに変化してきている。

 滑りについては2011年ごろ、世界チャンピオンである高橋大輔はしきりに自分の滑りが汚くていやだと言っていた。当時、「eye」と「道 」「タンゴ」のリピートをしていた自分は充分きれいな滑り出し、こんなに上手なのにどうしてそんなことを言っているのかわからなかった。
 ところが、ビートルズやソナチネの滑り、あるいは2012-13のころのバッグで滑っている練習風景を見ても滑りそのものがさらにディープで吸い付く様に氷にのっている感じが見えてから、こういう滑りがしたかったのかとようやく知るにいたった。

 こういう向上心が優しすぎて競争が苦手な少年をここまで持ってきた。

世界が何回も見たいと思わせるプログラムを毎年作り続けた驚異のスケーター
そして、高橋大輔という二度とはあらわれぬ別格の美しいスケーター

(確か、ニュースステーションのキャスターのとなりにいた男性が高橋大輔を美しいと言っていた。
  男性が、普通に男性スケーター(の演技)を美しいと言えるフィギュアスケートを高橋大輔がつくった)
苦しいことを乗り越えて作品を磨きながら、
              いつの間にか宝玉のように磨きこまれた人間性


    歌子先生が見出した原石がここまで磨かれたのだ。
      この宝玉がさらに輝いていってほしい。

 
◆新しい道へ漕ぎ出すことを祝う。
 常に新しい技術を求め学び練習をしてきた大輔さんが引退。
新しい自分を求めてまた進んでいく。きちんとしたことが好きな大輔さんらしい選択だった。

 ただ、挨拶の最後近くで、「引退してから競技者に一度戻れる、ということもフィギュアのルールにはあります。僕自身、競技者として未練がないわけではないです。ただ、競技者に戻るとしても、新しい道に進むとしても、一度区切りをつけることが必要だと思い、この決断をしました。」とある。
 苦しいけれどあのすごい向上心で緊張感のある競技会を突き進んできた大輔さんが戻りたくなったら戻ることもできると意識していることは大事だ。
 今後どうなっていくのかはわからないが、戻りたくなったらいつでも戻ってきていいのよという気もちでこれからも引退した大輔さん応援をしていく。


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by miriyun | 2014-10-19 02:55 | Comments(0)


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