高橋大輔の軌跡(1)

天才と呼ばれた少年*スケート人生のスタート 


 スケート環境は恵まれていたわけではなくて、近所にリンクができたので始めたのが8歳だというから、こうした世界一を狙う人としては遅いスタートを切る。スケート教室の先生やスケートを教えてくれた近所のお姉さんに基本を教えてもらいつつ、やりたいことをこつこつと積み上げた。
 1998年に、長野オリンピックがあり、その時TVでみたアイスダンスなどを見てやりたいと思ったことは、難しくてもリンクの片隅で黙々と真似てみたらしい。だが、このスケートで踊りたいという気持ちを理解する人に出会うことがなかった。仕方なくコーチがつかず一人で黙々とジャンプも振りも練習した。

  普通はそれぞれのクラブとそこにつくコーチがいて、そのコーチや協会が主催する合宿などに呼ばれる。
主なコーチがいない大輔君はそのまま倉敷のスケート愛好家として埋もれてしまった可能性もあった。
 後ろ盾もなく倉敷でひたむきに自己練習していたのだったが、日本のジュニア大会に出るようになって、実力だけでスケート関係者の目に留まり、倉敷にいい子がいるらしいという噂がたつようになった。

運命の出会い
 そこで呼ばれていった東北の合宿で、振り付けを見てもらうことになっていた先生が急用ができてかえることになり、代わりに長光歌子先生が急遽、振付けることになった。
 長光先生は音をとらえた踊りができることに注目した。なぜなら、男が踊るなんて?という風潮が強かった時代であったが、長光先生は技術とスピードがある男こそ踊るべきだと思っていたコーチだったのだ。

 
 1999年の夏、中学2年の踊りたい高橋大輔と、踊らせたい長光歌子先生の運命の出会いだった。その後、長光コーチのいる大阪へ週末に通うようになる。それでも平日は一人で練習していたのだ。トップスケーターとなった人で中学時代にこれは珍しいのではないだろうか。
其の1999年のうちに初めての国際大会トリグラフトロフィーのノービスで優勝した。2000年と2001年の2月に全中学校大会を2連覇する。

 このころに、インタビューに答えて、夢は、オリンピック3位以内に入ることと語っていた。・・・・・今は3位はもうとってしまって、オリンピック金メダルを目指して進化中!


世界ジュニア選手権へ・・・日本人男子初の優勝    
◆2002 World Jr 高橋大輔 SPではウエストサイドストーリー
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                                          ↑ 最後の決めポーズ


リンク→【ニコニコ動画】2002 World Jr 高橋大輔 SP

 ウエストサイドストーリーの超有名な曲だ。誰もが知っているだけに曲に送れると目立つ。中盤で、一瞬音がなくなり、チャチャチャとはじまるところ合わせるのがピタットできている。まだ思い切った腕ののばし方とか表現はしていないが音とりはできていて、音を聞いてからの動きではないのがもうわかる。

 キスクラで恥ずかしがっている。普通の15歳。しかし、滑りはジュニアではないような滑りをしている。表現したいのだけれども遠慮がちにしているような感じだ。


◆2002 世界ジュニア選手権 FS 「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」

リンク→【ニコニコ動画】高橋大輔 2002 世界ジュニア選手権 FS

 「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」の調べにのせてきれいな滑りをしている。
しかし、つい先日、濃い大人の演技を見たばかりなので初々しい少年の演技から見直すと、その変化が歴然とみてとれる。
 

◆2002 世界ジュニア選手権 Ex 「マリア」+アンコールはSP最初の3A

     


シニアデビュー*苦難の時代 

◆グランプリシリーズでシニアデビュー・・・ドイツで緊張11位
◆第2戦NHK杯  SP 自分が緊張しているのかどうかもわかりませんでした。翠松高校2年生

   リンク→【ニコニコ動画】2002 NHK Trophy 高橋大輔 FS
前半で、4回転は失敗、アクセルも万全のアクセルとは言えない。
後半、小気味よい音に合わせて勢いが出てくる。そしてスピードにものって素晴らしい。
前半と後半が別人のよう

音楽に合わせての動き、天性のものです(アナ)とはいわれたが、ジャンプの不安定さなど、緊張など、シニアでは3年も目がでず、天才といわれても自分ではそう思えなかった高橋の苦悩のときは続いた。
 そうしていても期待だけはかけられるから、海外の武者修行的にいろいろな習うため4か国もまわって修行時代を過ごしたのだ。相変わらず行き来しながら岡山の高校を卒業する。

 ほんとに苦しくて今でも思い出すのが嫌なロシア時代を除けば、あとになっていろいろなところで習って幅を広げたことは生きてきているのだろう。
 また、歌子先生はこの子はどこで習っても可愛がられてきたという。天性のものがあったし、礼儀はしっかりと歌子先生に叩き込まれていたから今の高橋があるのだろう。勿論子供のころに教わった近所のお姉さんがきちんと礼儀を教えてくれたことも生きている。

 苦しくて目が出ない時期、これがなくて順風満帆な天才として楽な人生だけを歩んでいたら、あの大怪我とそのあとの長くて痛くて苦しいリハビリ期間をのりきれなかっただろう。そのあとのむち打ち状態の治療時代にも耐えられなかったかもしれない。

 苦しい時を乗り越える経験もいつかは役に立つ。
しかし、苦しくてもまた立ち上がればできるんだと伝えてくれるのは、まだずっと後になる。
残念ながらまだこの当時は苦しいことばかりだったようだ。

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by miriyun | 2012-07-08 00:12 | Comments(4)
Commented by キク at 2012-07-08 16:52 x
お気に入りに登録し何度も読み返しています。歌子先生との出逢いは、ほんの偶然!!この時から2人の奇跡は始まっていたんですね。人生の不思議に感動!
Commented by tsurukame_ko at 2012-07-09 01:17
1ということは、続きがあるのですよね(≧ω≦)b
待ってます!
Commented by miriyun at 2012-07-11 06:41
キクさん、この人からはたくさんのドラマが見えてきますね。
アスリートとしてのドラマとアーティストとしてのドラマとが見えてきます。
それを見つめて応援していくことができるのはとても嬉しいことです。
Commented by miriyun at 2012-07-12 02:48
tsurukame_koさん、ありがとうございます。
いつものようにスローペースですが、自分の中で流れをまとめ次のシーズンを待ちたいなと思ったりしています。
それにしても次が待ち遠しいですね。


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