高橋大輔・・・振付決まった!

 ラテンでいくぞ!

 フィギュアスケート、高橋大輔選手の今期のプログラムが、北海道の合宿所で発表された。
小気味よい動きとラテンのリズムで絶賛された『eye』につづいて、今期もラテンで行うと言う。

 振付を誰にするか、コーチを誰にするかはどの選手も大きなことで、これがうまくいくかは選手にとって大きなかけになる。
 しかし、フリーについては全開のラ・ストラーダ(道)で、絶賛されたカメレンゴ氏である。モロゾフコーチがライバルである織田のコーチを引き受けたということで、高橋選手はコーチを変えたのだが、カメレンゴ氏にかえるについては、不安はなかったという。もともと彼に頼もうという気は何年か前からあったようだ。そして、ラ・ストラーダ(道)で、絶賛されたカメレンゴ氏である。次回作に当然期待は高まる。
 何の曲なのか、気になるところだが、これからのアイスショーで順次紹介されていくようだ。チケットはますます手に入りにくくなりそうだ。

 ランビエール振付の難曲のクラシックもあるが、のりのよさからショートはシェイ・リーン・ボーン氏振り付けのマンボ・サンバなどをミックスしたラテン系を選んだ。


どこでどの曲を高橋風にしっかりとものにして発表されるにしろ、高橋大輔自身が、これらの曲がいずれもよいプログラムであるといっているので期待が高まる。
 バンクーバーオリンピックとトリノの世界選手権であれだけの表現ができることをみせた高橋であるから、振付のほうも飛びっきり難しいようだ。
 振付師は常に何人かの有力な選手に振付をしているようだが、同じ時期に同じように振付料を払ったとしても、同じだけの振付はできない。振付師にとっては素材が野草か、薔薇か、ランなのか見極めなければならない。あるいはライオンなのかガゼルなのか、はたまたウサギなのかを知って、その能力に応じた振付をするのだ。どんな素晴らしい振付もそれをこなす能力を持たなければ意味がない。


 今の高橋にはランビエールがそうした様にだまっていても振付師がやってくる。希望すれば相手もすぐに返事をしてくれる。高橋という世界的に認められた素材をつかって振付師のほうも自己表現が完成するのだ。だから、同じように振付を頼んでも決して同じようにはならないし、難易度については選手次第ということになる。高橋はもう4回転フリップかルッツで挑戦していくということなので、振付師にとっては自分でも作りはしても実現できなかったようなプログラムを高橋につくることができるのだ。
 

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 エピソード集*長光コーチ
 
15歳で日本男子初めてジュニア世界1になった。若手の選手育成に定評のある長光歌子コーチが彼を初めて見出したときの印象。

 すごい子だ。スケートやジャンプが上手な子はたくさんいる。しかし、曲が体の中から聞こえてくるようなのは大輔がはじめてだったという。

 ごく若いころの映像を見ただけでは私などではそこまでわからないが、そのまだまだわからないようなころに見出していくのがコーチの慧眼というものなのだろう。
 長光コーチは才能を次々と引き出していき、関西大学に入ってからはコーチの家に泊めた。けんかはするけど基本はすごくやさしい。そういうコーチとやってきて2007年には世界選手権でとうとう銀メダルを手にした。

しかし、のちに高橋は行っているが、一つの大きな大会を終えるとドーンと落ち込んで立ち上がれない。
特にこの選手権でメダルを取ってから目標を見失いかけている。モチベーションが上らない。そういう状態に長光コーチは気づいていた。そうしたときにトリプルアクセルでおりたったときに靭帯を痛めた。右ひざの前十時靭帯の断裂。MRIで全く写らないほど・・・。


京都病院の原邦夫医師は靭帯をいためたスポーツ選手を数多く見てきたが、フィギュアスケート選手は初めて、彼の場合はやってみないとわからないということはあった。

 長光コーチはやらなければだめな手術であるなら一刻も早く手術して少しでもリハビリを早く始めたほうがいいと考えた。
 そして、さらに、「このシーズンは休めということだったのだ」と捉え、極めて前向きに考えていった。選手生命が~、とか、フィギュアの選手の身体にメスを入れることについてなど本人も日とも不安を持つ中、長光コーチは常にからっとして前向き姿勢だった。

手術後、苦しいリハビリの日々。ひざのぐあいをみながら落ちた筋肉を取り戻す。
 あまりのリハビリの苦しさに失踪してしまった事もある。(このとき高橋は東京にいたらしいということを某TV番組で最近言っていた)、かれが帰ってきたとき、長光コーチは「ガンバレ」とは言わなかった。無理を言うことなく受け入れたのだ。「やめていいんだよ、あとは何とかするから」
  実は、このように落ち込みきってしまった人に「ガンバレ」は禁句だという。
高橋もここでがんばれといわれず、やめていいんだよといわれたことで素の自分に戻って自分を見直し、やはりスケートが好きだと感じ、もう一度立ち上がることになっていったという。
 同じ怪我をしないよう肉体改造に取り組む。また、体が固いこともわかり、股関節や足首など股関節の柔軟性を高めるメニューは5ヶ月以上続いた。担当医師は、「半年間、氷上でないところで地道な土台づくりをし、その土台を支えにしていってもらえれば治療した甲斐がある。」という。
 ケガをチャンスといいつつ不安をぬぐえない・・・
2009年4月、半年振りの氷の上で練習再開。思った以上に滑りやすい以前より肉体改造の成果でこおりをしっかりとらえることができるようになった。股関節の可動域が大きくなったのでステップもしやすくなった。
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 試合初めの固い握手も、試合後のキス&クライでコーチとともに座り、そこでの信頼し、安心している様子、また近眼で得点が見えないのに目を凝らしている大輔に点数を教えるのも歌子コーチだ。
 この信頼関係あればこそ、また、それぞれの専門の人材をあつめ、最初ばらばらだったチーム高橋をまとめていったこのコーチなくしては、高橋のここまでの成長はなかったかもしれない。


 エピソード*振付師と高橋   
 
◆カメレンゴ氏
昨年2009年の7月。カメレンゴ氏は不安を持ちながら高橋選手とデトロイトであった。
2008年のケガの前にすでに振付けられていた『道』。このときすでにカメレンゴ氏は高橋の振付の覚えの早さに驚いたというが、残念ながらこのプログラムは高橋のケガによって一度も日の目を見ていなかった。
いまは世界の共通の認識で名プログラムとされる『道』も、高橋の回復がおぼつかなければお蔵入りになってしまった可能性があるのだ。
 さて、このときイタリア人振付師パスカーレ・カメレンゴ氏は「彼がケガをする前の状態に戻っていてほしいと願っていたが、じっさい見るまではどういう状態かわからなかったのでとても気がかりで不安だったという。

 しかし、このデトロイトでカメレンゴ氏は高橋のすべりのよさにびっくりした。回復振りを確認したカメレンゴ氏はケガのため一度も披露できなかったフリーの演技に磨きをかけることにした。
 
 下半身の柔軟性が増した増した高橋にあわせて、プログラムは以前より難しい内容に変えた。ステップ・・・異なるターンやステップの種類を増やしスピードアップした。高得点になるれレベル4を獲得できる内容にしていった、スピンも柔軟性が増したことによりこれまでできなかった体制が取れるようになりより高度にした。ただ回っていたプログラム中ごろのスピン。時間的にも長くし、また泣くようなしぐさを入れて変化させていった。
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それらの成果が2010年の2月のオリンピック銅メダル・3月の世界選手権金メダルとなって現れたのだ。


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                                ↑写真は3枚ともいずれもTVを撮影して引用
これは『 道 』 の中のワンショット。
これだけでどの場面でのステップかわかる方もおられるのではないだろうか。
いくつかTVそのものから写真におさめてみたが、今それを取り出してみると、そのワンショットごとに音楽が聞こえて次の動きが見えてくる。それが、音と一体化してくる演技というものなのかもしれない。


 勇気を持って飛び、この間までライバルだった人物からも学ぶなど、自分の表現したいものを幅広く求める高橋、振付師は自分の振付を生かし表現していく人材を求め、その求めあいが、高橋のところで形を成している。
 日本人、いや欧米人以外が世界選手権男子で初めて最高峰にたった。その喜びと満足感で停滞することなく、次々と可能性を広げている。そんな存在がどれだけ人々に勇気を与えていることか。そういう人材、まれに見るアーティストをこれからも応援していきたい。

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Commented by えるだーおばば at 2010-08-23 00:55 x
こんばんわ、おばばです。
高橋大輔君の新作、楽しみですね。
ラテン、ジャズ、クラシックどれを滑っても彼の表現力で私達を虜にしてくれます。
この若者をここまで磨いてくれた、そして見つけてくれた長光コーチに感謝です。
そして、表に出ず影で支えてきたであろうご家族、なんでも新聞によりますと、岡山県が靴やコーチ料など支援してたらしく、高校から大阪へやったらどうか打診したところ、ご両親が出来たらまだ親元に置いときたいと希望され県もご両親の希望を尊重して、週末に大坂へ通って長光コーチのコーチを受けることになったみたいです。
あまり、でしゃばらないご家族のようですね。
Commented by miriyun at 2010-08-23 17:00
えるだーおばばさま、新しいエピソードをありがとうございました。
長光コーチもよくできた人だなあと聞くほどに思います。
スケートはどこでもできるものではないだけに、よくぞこの出会いがあったものだと思います
 これからますます伸びていくのが楽しみです。
Commented at 2011-05-08 21:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by miriyun at 2011-05-08 23:36
ayameさん、ようこそ!
そうでした。2007年が好調で、フリーは1位、総合2位だったのでした。
間違いを教えていただき助かります。ありがとうございました。
早速、本文を直しておきましたので、ご覧ください。
by miriyun | 2010-08-22 15:37 | Comments(4)

*写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。


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