スーダンの医師川原尚行&ロシナンテス
 1.ある医師の決断


 今、目の前においたカレンダーを見ている。

 川原医師が土壁の家の中でお母さんに抱かれた小さな子どもの手を握っている。
外務省の医官という地位から、生活保障などなにもないスーダンに信念をもって飛び込んだ医師――川原尚行医師である。たまたま、医官として大使館に派遣されていた。周囲には医師にかかることもできずに苦しむスーダン人がいる。
 ところが、医官というのは役職として担当の部署の人だけを見て、現地の人を診たりしてはいけないそうだ。
目の前の人々をみていて、手を出すことができない・・・・そのもどかしさに帰国後、彼が選んだ道は考えられないような道であった。妻ばかりでなく12歳・10歳・2歳の3人の子どもがありながら、絶対的安定職である外務省の医官としての職を辞し、単身スーダンに飛び込もうという無謀とも思えるようなことであった。


 2.スーダンとは

イスラーム諸国の中でもとくに人々の目が及ばないスーダン、内戦やジェノサイドがあったスーダン、貧しいスーダンである。
 では、なぜそんなに内戦や民族同士の争いが多いのであろうか。
もとをただせば、世界でも10番目という広さの大地に部族ごとによりあつまり、農耕民と遊牧民は住み分けをしていて、なんら問題もなかったところである。
 歴史上、かって小さな国がいろいろできたがゆるやかに移行するものであった。
なぜ反目しあうようになったのか・・・・その根源をたどっていくとまた、かの国が登場してくる。
 分割統治が大好きな国である、イギリスだ。
この広大な国土を押さえるのに、国内の民族をことさらにキリスト教徒の南部、イスラームの北部というように分けて扱い、おりにふれて反目させることによりイギリスへの不満の矛先が和らぐことを狙っている。
 (この統治の仕方が、インド・パキスタンの分離独立と現在の両国の根の深い争いやあいつぐ核兵器の開発にまで連なる。大シリア地域は意図的に4つの地方にわけられ、フランスと支配権を分けながら、各地の王にはハーシム家の王子たちを当て、もちろんもう一つの約束に対しても権利を与えた。別に独立したために、現在のシリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ自治区・イスラエルへとなっていった。)

 詳しく書くとスーダンの歴史だけで数ページとなってしまうのでここでは、要因は宗教ではなく分割と反目、そして経済的要因、とくに南部だけに石油が取れたこと、北部政権が都合のよいことをしたことに対して、南部に解放戦線ができ、内戦となり、その中でダルフール紛争という虐殺の事件も発生してしまった。
 国際的支援がおくれたこともあり、石油が取れながら貧しく、遊牧民は砂漠化により牧畜地を失い人口の大移動が起きたことなども関係している。(ほんとにかいつまんでなので、詳細はWikipediaや外務省資料をご覧いただきたい。)
 

 3.ロシナンテス
         ・・・・・人柄が仲間を呼ぶ

 川原医師は三人の子を妻に託し、妻は収入がなくなった家を支えてパートにでる。
この奥さんもすごい人だ。三人の子を残して収入のない道を選んでいく。それを支援できるってすごい!でも、島田紳助の『行列のできる法律相談』で紹介していたが、家に帰ってた時はゴロゴロしているだけの父、しかし、その父を尊敬していると息子が言っていた。
 また、川原医師も遠きスーダンで日中全力で仕事をしながらも息子の大事な試合時間には一緒に参加している気になってボールを持って息子に心を寄せる。そんな親子関係ができているのもこの奥さんの支援する気持ちがあったればこそだと思う。
 
 高校のラグビーの仲間や後輩が、支援者・共同作業者として名乗りをあげる。「川原がやることならば・・・」という声で始まったということだが、この言葉だけで、川原医師への信頼感がわかる。いいスタッフが集まり、NPO法人として日本で寄付を集め活動しつつ、スーダンで間借りしながら何しろ活動をはじめた。・・・・こんな風に始まったという。
 最初に集まった仲間の中で川原医師は会の名を決めた。

                                     ↑ ロシナンテスのテント内に飾られたロシナンテ
 私たちNPO法人ロシナンテスの名前の由来は、小説「ドンキホーテ」に出てくるドンキホーテの乗る痩せ馬のロシナンテから来ています。「私たち一人一人は痩せ馬ロシナンテのように無力かもしれない、しかし、ロシナンテが集まり、ロシナンテスになれば、きっと何かできるはずだ!と考え、「ロシナンテス」と名付けました。(ロシナンテスのカレンダー裏面記載の解説より引用)


ロシナンテスHP
◆アフリカンフェスタで、もしやと思いNGO関係のテントを見て歩いたら、一つのテント前にやはり拡大パネルの川原さんがいた。

その隣で写真を撮り、そこにメッセージを書き川原さんに応援メッセージを送ろうという内容のことをやっていた。

多くの人が賛同し、そして写真とメッセージを貼っていた。


 4.何もしないでいられない

スーダンは長年続いた内戦などにより国は疲弊し、国民の多くは貧困に苦しんでいる。ロシナンテスはこれらの問題を解決するため、医療活動、学校・教育事業、水・衛生事業、交流事業、スポーツ事業に取り組んでいるという。
 何も設備ができなくてもできるスポーツ、サッカー。それを通して一人でも多くの子どもたちの瞳も輝かせる。そのために川原さん自身も身体を動かしてやっていく。こんな河原さんのことが新聞の片すみに乗りそれを見た司会者、島田紳助がその話に感じ入り番組で特集したのだった。
 その医師にプロの写真家が写真集を作る。

ロシナンテスの人たちの絵やロバのロシナンテを描いてくれるイラストレーターが現れてくる。
 彼の魂に引かれるかのように、いろんな人材が集まってきている。
先日横浜でであったロシナンテスのメンバーもそういうこれからやっていこうという新しいエネルギーに満ちていたのだった。

 行列も、ロシナンテスのHPも熱い、熱い思いがいっぱいで、こんな自分の文ではあらわすのも失礼かと思うほど熱い。しかし、やはり何もしないところからは何も生まれないという言葉に動かされ、拙いながらお伝えすることにした・・・。
 
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by miriyun | 2010-06-19 08:34 | Comments(12)
Commented by ぺいとん at 2010-06-19 08:42 x
知っているのに何もしないのが一番の罪・・・分かっていても行動に移せない自分は情けない愚か者です。  
カレンダーの横顔は神々しさで一杯!
Commented by 谷間のゆり at 2010-06-19 14:40 x
川原医師のお話、胸が熱くなりました。
HP覗いてみます。
Commented by えるだーおばば at 2010-06-19 23:45 x
こんばんわ、おばばです。
いいお話、有難うございました。
紳介氏の番組は、ほとんど見てませんので知りませんでした。
読んでいる内に胸が熱くなりました、そして大国のエゴに腹立たしさも感じました。
おばばは、中村医師のアフガニスタンペシャワール会にほんの少し寄付をさせてもらってます。
彼も命を張って頑張っていらっしゃってます。昨年は伊藤さんが殺されてます。朴訥な真面目な若者でいらっしゃったようです。
伊藤さんが撮影された現地の子供や農民の笑顔に思わずおばばは、涙が溢れ止りませんでした。
彼の地も大国に蹂躙され、今はテロの温床地帯と言われてますが、全ては旧ソ連とアメリカの所為だとおもっています。
昔のアフガニスタンをしっている人は日本によく似た緑の多い平和なのどかな国で、人々は親切で優しかったと書いておられました。
Commented by miriyun at 2010-06-20 09:16
ぺいとんさん、
 理解する人が一人、二人、こんなことでも私たちは少しは役に立てるかも~と、前向きに考えていきたいと思います。
 カレンダーをめくりつつ、人の為すことを感ずる
・・・そんな思いで、このカレンダーのほかに、ペイトンさんが以前
紹介されていた小松義夫さんのカレンダーも買いました。
Commented by miriyun at 2010-06-20 09:20
谷間のゆりさん、ありがとうございます。
今回とくにこの方の人生の選択に考えさせられることが大きかったです。
実際の現場は気候・風土・衛生状態・治安、厳しいものだらけでしょうに
笑顔が消えない素敵なドクターです!
Commented by miriyun at 2010-06-20 09:34
えるだーおばばさま、
中村哲医師も、川原尚行医師も強い自分の思いをもって、しかもその国への支援を長いスパンで捉え、如何に汗以下通編み図のことまで考えながら最終的にその国の人を育てていこうという理念があります。
 心から応援していきたいです。また、こうした話題にならないNGO・NPOもあり、それぞれのばで皆が思いを持って活動していることを改めて感じました。
 アフガニスタン・・・昔の映像を見ましたが侵攻がある前はほんとうに美しい緑の国でした。
Commented by martamam1414 at 2010-06-21 06:44 x
本当に素敵な方の活動紹介ありがとうございます。アフガニスタンの中村医師といい、私欲ではなく、本当に現地の方の側に立った方の活動をみると、自分のふがいなさを感じます。アフガンにはソ連の侵攻一年前に短い期間ですが、訪れたことがあります。パキスタンよりも女の方が生きいき、町を歩いていたことを思い出します。その後、大国の思惑に翻弄され続けていることを考えるといつも、心が痛みます。クルドの夫の問題もようやく、言葉も公に話されるようになり、テレビ放送もできるようになり、今度は教育と、皆さん合法的な方法でがんばっているようです。すべての人々が生きて行く幸せをお互いに奪うことがないよう、ただただ、祈るばかりです。
Commented by miriyun at 2010-06-21 23:59
martamamさん、侵攻前のアフガニスタンをご存知とは!!
アフガニスタンの女性の姿、今よりいきいきしていたのですね。
また、クルドの人々の現在の動きまで、貴重な内容をありがとうございます。
TV放送ができるようになったことは、
いろいろな面においてクルド文化が知らされ影響の大きいことですね!
Commented by maico at 2010-06-22 19:45 x
先日はアフリカンフェスタでロシナンテスブースへお立ち寄り頂きありがとうございました。
お話させていただきました山本です。
このように素敵に紹介して頂きありがたいです。

これからもよろしくお願いいたします。
Commented by miriyun at 2010-06-24 01:58
maicoさん、ようこそ!
先日は詳しくお話を聞かせていただきありがとうございました。
ロシナンテスのさらなるご活躍をお祈り申し上げます。
また、少しでもスーダンへの人々への理解が進みますよう及ばずながら応援していきたいと思います。
Commented by yumiyane at 2010-06-25 15:03
あのころの大国の、後進国への独善的な支配欲にはほとほとあきれるばかりです。
しかし、このようなことは戦前の日本人もアジア諸国に行っていたであろうことを思うと、今現在を生きる私たちは、歴史に学んで二度とこんなバカなことを繰り返さないよう、肝に銘じなくてはならないと思います。
目の前にあるものを助ける、正義感の強い人たちに感謝します。
Commented by miriyun at 2010-06-26 08:28
yumiyaneさん、歴史に学ぶ・・・これは日本はもちろん、全ての国におろかなことを繰り返さないために必要ですね。
 でも今の日本が、それぞれが思ったことを思ったとおりに実行できる、河原さんも思い立てばアフリカにでも出かけて活動できる、思うように発言できる、そして国際間で随分と人道的活動をしてきている・・・これはすごいことだと思います。
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