カレンデルハーネ・ジャーミー

 ビザンティン建築としては、いわずと知れたアヤ・ソフィアがあるが、他にもあるはずだ。
例えば、スレイマニエ・ジャーミーの南西にカレンデルハーネ・ジャーミーがあった。

カレンデルハーネ・ジャーミー 

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ここは、ローマ時代には浴場があったということが発掘でわかっている。その上に初期ビザンチン教会ビザンチン様式の教会だったといわれる。その後12世紀にここに修道院の教会が建てられたのではないかといわれているが名は断定されていない。
 その後13世紀には第4回十字軍によって占領されたため、ラテン王国に支配されていた間はここはカトリックとなる。
 15世紀、ファーティフによってオスマン朝支配になると、当然アヤ・ソフィア同様、ミナレットを付けられモスク(ジャーミー)になったものである。
 実はここは、バスを降りて、脇を通っただけで中を見たわけではない。しかし、立派な建築物であるが、様式が異なり、おやっと思った次第である。やはりただのモスクではなかったのである。

 ローマン風呂の跡に始まり、古代モザイク、キリスト教関連の壁画も発掘があり、たった一つの建物でもその変遷が街の歴史の一部を反映しているのであった。

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◆ なお、ボスポラス海峡の陸地側工事は遅れているが、それは請負会社の問題ではない。
掘れば掘るほど出てきてしまう古代や中世の遺跡や遺構によりその発掘をきちんとやってから出ないと工事を進めることができないという事実によるものだ。

 たしかにイスタンブールならさもあらんと思う・・・。



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by miriyun | 2009-05-04 14:14 | トルコ | Comments(6)
Commented by yokocan21 at 2009-05-04 16:35
ビザンティン教会をモスクに転用したもの、イスタンブルにはたくさんありますよね。オスマン朝の典型的なモスクも荘厳で好きなんですけど、ビザンティンのこじんまりとした元教会も、素敵です。いつかビザンティン教会の特集などやってみたいと思っているんですけど、なかなか時間が.....。
私の持っている本では、『クリストス・アカタレプトス聖堂』だったと書かれていますけど、断定はされていないということなんですね。
Commented by Joe at 2009-05-04 17:03 x
>掘れば掘るほど出てきてしまう古代や中世の遺跡や遺構によりその発掘をきちんとやってから出ないと工事を進めることができないという事実によるものだ。

過去を知るうえでの確かな手がかりは、どの様なルートを辿り、現在どのような考えに至っているのかを辿っていくことによって見えてくる世界観に最終的にはたどり着けるのではなかろうかと願います。
怒りや不安の感情を超えた世界の想像を祈るばかりです。
よい連休をお過ごしくださいませ。
Commented by Drimba at 2009-05-04 20:46 x
This is mosque my dear friend......
Commented by miriyun at 2009-05-05 07:01
yokocanさん、イスタンブルは本当に歴史の町ですね。
 キリオテッサ修道院のあととする説とクリストス・アカタレプトス修道院の教会とする説もあるようです。
 キリスト教会関係は聖人の名も派もよく知らず、調べる意欲がいまひとつなのでこれ以上わかりませんが、歴史が深いということだけはよくわかりました。
Commented by miriyun at 2009-05-05 07:10
ジョーさん、いろいろなものをただ見るにしても、現在の情勢をみるにしても、歴史的背景からみないと、何も理解できないことが多いですね。
 そして、歴史を感傷的に捉えるのでなく多方面からの観点から捉えないと、自己中心的論調になってしまうことも多いのがどこの国でも民族でも個人でも注意しなければならないところだと思っています。
Commented by miriyun at 2009-05-05 07:55
Drimbaさん、そうです、モスクです。


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